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2022フクシマ連帯キャラバン 3.12 - 3.14行動
3月11日、東日本大震災、福島第一原発事故から11年が経ちました。特定復興再生拠点区域との名目で解除される帰還困難区域、処理水の海洋放出問題、進展しない燃料デブリの取り出しなどに対し、8回目となるフクシマ連帯キャラバンを福島県内で3日間行いました。
3月12日 ・2022原発のない福島を!県民大集会 - フクシマ連帯キャラバン結団式
3月13日 ・あれから11年!原発事故は終わっていない3.13アクション - 被災地フィールドワーク
3月14日 ・いわき市、福島県への要請行動
3.13 いわき行動
3.14要請行動①
3.14要請行動②
3.13 視察行動
キャラバン参加の青年部
東北地方青年婦人部 部長 薄井 栄人
福島第一原発事故から11年の時が経ち、徐々に復興も進み事故の爪痕が人々の記憶から薄れている今だからこそ、現地で今何が起きているのか、問題を再認識することを学ぶことができました。本当の復興とは何か、いまだに事故で苦しんでいる人たちが安心して暮らせることだと思います。そのために脱原発・再稼働反対・自然エネルギーへの転換の声を挙げ続けなければいけません。原発事故を風化させない、日本に原発はいらない想いをより一層声に乗せていかなければ、国を動かすことはできません。若い世代の我々が先頭に立ち、これからの未来の向けて闘っていく強い意志を持ち、我々にできることを仲間と団結して全力で行動していきたいと思います。
東北地方青年婦人部 書記長 武田 陽介
現地の風景は徐々に変化し、整備された街並みは「復興」という言葉で取り上げられていますが、それは被災地のほんの一部です。原発事故は福島だけではなく、今後全国で起こりうる重大な問題だと改めて痛感することが出来ました。風化をさせない、そして「核と人は共存できない」ということを、今後も広めていけるよう行動していきたいと思います。
小名浜支部青年部 齋藤 直道
今回フクシマ連帯キャラバン隊の団長として3日間参加してきました。1日目は福島市で行われた「2022原発のない福島を!県民大集会」に小名浜支部青年部5人で参加しました。実行委員長の挨拶では、原発事故が一度起きたら復興するまでに何世代にも渡る問題で、原発は人質にも核兵器にもなる為、世界から原発のない社会を目指すという話を頂きました。連帯の挨拶では、福島からALPS処理水を流していることは世界の加害者であり、福島沖だけではなく太平洋全体に悪影響を与えるから絶対に流してはいけないという話がありました。福島からの発信では、福島大学教授と高校生平和大使3名から話があり、高校生平和大使が事前に「あなたはALPS処理水に対して反対か賛成ですか?」というアンケートを、高校生を対象に実施したところ、賛成が過半数を占めており、このような結果を招く要因としては「情報が多すぎて、どの情報を信じてよいのか分からない状況だから間違った情報を信じている。風化しているから原発事故に興味がない世代がいる」と言っていました。県民大集会終了後、小名浜支部組合事務所でキャラバン隊の結団式が行われ、中央本部松谷書記次長、東北地本新妻委員長の挨拶を頂き、参加者一人一人のキャラバンに対する気持ちを確認しキャラバン隊が結成されました。
2日目は松本顧問と松谷書記次長より、キャラバンの歴史について学習会が行われました。松本顧問からは、風化させない為にも、若い世代から発信しなければいけない。また、原発が廃炉になるまでは絶対に続けていかなければならない活動だと言われました。松谷書記次長からは、福島原発事故を風化させない為にキャラバンだけではなく、アピールできる場所はたくさんあるから青年部で考えながら活動してもらいたいなどの話を頂きました。学習会終了後はいわき市小名浜イオンモール前で3政党、5団体が結集し「あれから11年!原発事故は終わっていない3.13アクション」に参加しました。各政党からの発信やキャラバン隊からも団長として発言させてもらいました。「国や東電は海洋放出のイメージを良くするためにALPS処理水と言うが、放射線部質が入っているなら汚染水に変わりはないので絶対に海には流してはいけない。二度と福島以外でも同じ事故は起こしてはならないし、若い世代が原発事故の怖さや知識がなくなるのが一番危険」ということを集会参加者に訴えました。午後からは福島第一原発周辺のフィールドワークがあり、フィールドワークを通して感じたことは、避難困難区域が解除され復興していると言われていますが、人は全然住んでいません。本当の復興とは、仲良かった友達にすぐ会いにいけ、困った時は近所の人が助けてくれる環境が本当の復興だと思いました。原発事故は一瞬でふるさとを壊してしまい、二度と起きてはならない事故だと改めて実感することができました。
3日目は、平和フォーラムの藤本代表から戦争と政治についての学習会がありました。戦争の学習会では、自衛のために戦争が行われ、初めて原発立地での戦争であり、福島の二の舞になるかもしれない。戦争をなくすためには、外交の中で隣国と共同体などを創り防衛費にお金を掛けない話合いが大事という話があり、政治については、日本は国民の税金を使い、過ちを揉み消している。憲法13条で個人として尊重しなければならないのに、日本は「個人」ではなく「人」として扱われ、戦争が行われたら紙切れ一枚で要請がかかり、一人一人の命を安易に考えている。そのような政治をなくす為には選挙が大事という話がありました。学習会終了後は、市と県の方に要請書を提出しにいきました。市の要請書提出では、これからも脱原発、ALPS処理水に対して今後も一緒に頑張っていきましょうという解答を受けました。県の要請書提出では、キャラバン隊ひとりひとりの思いを伝えたにも関わらず、なんの解答も得られず、福島県民として、本当にこの人が県知事で今度の将来は大丈夫なのか、私たちに明るい未来はあるのだろうかと思い、選挙を若い人に呼びかけ福島を変えなければならないと思いました。要請書提出後は、キャラバン隊の解団式が行われました。
解団式では、3日間活動して思ったことや今後どうしていかなければならないなどの思いを話しました。今回キャラバン参加、また団長を経験させていただきは思ったことがたくさんありました。
まず1つ目として、キャラバンを行ううえで、たくさんの人の協力が必要なことです。今回コロナ禍というなかで、中央、地本の方々の支援などを受け、キャラバンが開催していただいたことに感謝します。同じ思いの仲間と3日間共に活動し、他県の原発のことも知り、今後各支部で行われている脱原発の活動にも小名浜支部青年部で積極的に参加していきたいと感じました。
2つ目は、フクシマ連帯キャラバンは福島の問題だけではないということです。八戸支部では、大間原発、日立支部では東海第二原発など原発を抱えている支部もありますが、原発を抱えてない支部でも、近くの原発で事故が起き風向き次第では避難などの影響を受けるかもしれません。原発は原発を抱えている支部の問題だけではなく、国民ひとりひとりの問題だと思います。今後コロナ禍が収束した時には、東北地方全支部が参加し、風化させないために毎年必ず行わなければならない活動だと感じました。
3つ目は、今回コロナ禍と言うことで3日間の活動ではありましたが、3日間では短いと感じました。3日間を通して勉強や被災地フィールドを行い、日が増すにつれ、キャラバン隊一人一人が脱原発に対する思いが強くなっていくのを実感し、要請行動では自信をもって自分の思いを発言できていましたが、今回のキャラバン中に原発をどう思っているのかなどのアンケートを行いたいなどの意見もありました。今回参加し、もっと脱原発に対して思いが強くなり、日本から原発がなくなるまでは絶対に無くしてはならない活動だと参加者全員が自身を持って言える行動でした。
八戸支部青年部 夏堀 陸
私はフクシマ連隊キャラバンへの参加は初めてでした。東日本大震災、原発事故が起きてからは、青年対策交流会議で一度フィールドワークをしましたが、その後福島県の復興がどのようになっているのか、現在の状況はどうなっているのかわかりませんでした。2日目のフィールドワークの前に原発についての話があり、そこで初めて汚染水の海洋放出という問題を聞きました。トリチウムと言う物質は不確定なことが多すぎため、海洋に放出すると言うことを絶対に許してはいけないと思います。私にも2人の子供がいます。キャラバン隊の団長も言っていましたが、汚染水に汚された海では遊ばせたくないし、この放出により数十年後の未来が壊れてしまうかもしれません。この問題には福島県だけではなく、全国、世界で沢山の声を上げていく必要があると思います。現状全国的に震災、原発事故が風化しつつあると思っています。私たちの行なっている行動はもしかしたら微力ではあるかもしれませんが決して無力ではないと思っています。全港湾が力を合わせて行動すれば必ず今よりも大きな力になります。そのためにもフクシマ連隊キャラバンを全国的に広められるようにこれからも頑張っていきたいと思います。
今回のフクシマ連隊キャラバンはコロナウイルス拡大の影響により行動を制限されてしまいましたが、新妻委員長をはじめ各支部の委員長、小名浜支部で準備、計画してくださったみなさんのおかげで全日程を執り行うことができました。本当にありがとうございました。これからもコロナウイルス拡大の影響で全支部が集まることは難しい状況が続くかもしれませんが、こうやって集まれたこと本当に嬉しく思いました。早く収束してまたみんなで楽しく活動できる日が来ることを願っています。今回のフクシマ連隊キャラバンで自分達がどう行動していけばいいかわかった気がします。今回学んだことを青森県での行動にいかしてこれからも頑張っていきたいと思います。
八戸支部青年部 沼田 祥毅
初参加になりますが、青年部の最も力を入れている脱原発運動の一つなので、参加出来ると言う事でとても緊張していました。
1日目は、八戸からの移動のため、県民大集会には参加出来ませんでした。自分達は16時から行われる結団式からの参加となりました。コロナが広まってから、約2年ほどでしたが面と向かって会えた事が嬉しいのと同時に元気で全港湾の仲間に会えた事で安心もしました。その日は、日程の説明をうけ、団長を決めて、ホテルに入りました。
2日目は、小名浜支部組合事務所にて、キャラバンの歴史と、汚染水放出の話しを聞きました。震災と原発事故の話しを聞いて、当時、自分は学生でした。ニュースで見ていて、正直、自分から遠い所で起こっている大きな事件だとしか思って居ませんでしたが、話しを聞いて、この3日間がどれだけ大事な行動かを教えて、全力で向き合おうと決めました。
その後は、小名浜のイオンモール前で抗議行動に参加しました。色々な人がこの抗議行動に参加して居て大勢の人がこの問題に反対して居て、集まってくれた方々、応援して貰った人達にとても感謝しています。
この後のフィールドワークは自分の中でも衝撃でした。組合事務所から浪江町請戸地区までの道のりでした。復興拠点区域、帰還困難区域を見て、人が住んでいた家、帰りたくても帰れない家や区域、寂しくもあり、悲しくもありました。途中で入った伝承館は原発事故の日の事や、11年前と今の変化を見ました。館内の資料を見て、階段を降りる時に壁一面に被災者の方々の写真が貼って居ました。そこで家族が行方不明になった場所と家の前で、座って泣いて居る男の人の写真の前で足が止まりました。もし、写って居るのが自分だったらと思うととても怖い事だと思います。最後に大平山霊園に行きました、見る風景は町があったとは思えない程に何も有りませんでした。復興とは、目に見えるものでは無いのだと思いました、家が立った、道路が綺麗になった、それでも大事な人達が居ない事がその土地にとっては何も無いのと同じ事になるのでは無いかと思いました。
最終日は市と県の方に要請書を提出して、解散になりました。3日と言う期間でしたが、濃くて重い3日間でした。仲間達と色々な人の助けを借りてやり遂げる事が出来ました。力を貸して頂いた方々に感謝と、一日でも早い全原発廃止を目指して、これからも行動をして行こうと思います。
ひたち支部青年女性部 藤枝 知博
2022年フクシマ連帯キャラバンで福島県の現状・課題を学び、いわき市、福島県へ要請を行ってきました。フィールドワークでは、11年経ったいまでも帰還困難区域がある一方、復興は進み震災直後の面影を残す場所は少なくなってきていることを感じました。しかし、本当の復興とは程遠いと思います。ライフラインの再開もまだまだ道半ば、例え整ったとしても目に見えない放射線の恐怖を感じながら生活しても良いと思う人はどれだけいるでしょうか。富岡町では元々生活していた住民の9.4%しか帰還しておらず、そのほとんどが高齢者だと言います。子供を持つ家庭は、この年月の間に避難地でのコミュニティを築き、元の生活に戻れていないのが現状です。しかし、帰還困難区域の解除がなされ、戻れないのに保証は打ち切られる。そんな不条理を抱く、多くの方がいると思うと胸が痛くなりました。また、福島では新たな課題に直面しています。それは汚染水の海洋放出です。国は安全な濃度まで薄くするから安心だと言い、飲んでも大丈夫というチラシを子供たちにばら撒きました。原発の安全神話を作り上げ、その裏にあるリスクを伝えてこなかった国の言うことは何も信じられません。そんな状態で海洋放出が始まれば、風評被害は避けられないと思います。自治体要請では私たちの思いをしっかり伝えてきました。地元自治体には住民の意見を尊重し、国へ訴え続けて欲しいと思います。
キャラバン隊の仲間たちと過ごした時間はかけがえのないもので、ここでしか感じられないこと、考えつかないことがありました。今回の参加でフクシマ連帯キャラバンという運動の偉大さを痛感しましたが、それでもなお、原発推進の波は押し寄せてきています。一刻も早い脱原発社会を実現するため、より一層の団結をもって闘っていきましょう!
ひたち支部青年女性部 加藤 綺純
私は、3月12日~14日のフクシマ連帯キャラバンに初めて参加しました。
初日は、参加者の結団式を行いました。初めて顔を合わせる人が多く、緊張していましたが、皆さん優しく接してくれたのですぐになじむことができました。今回このメンバーで3日間行動できると思うと心強く感じたのを覚えています。
2日目のイオンモールいわき小名浜前でのアクション行動では、私自身が発言することは出来ませんでしたが、団長が発言した堂々としたスピーチに感動し、かっこいいと思いました。私の住んでいる地域では、原発事故を実感することは難しく、安易な考えを持っていました。しかし、被災地フィールドワークで、実際に現地を見て私の安易な考えを覆す、とても悲惨なひどいことが起こっていのだと実感しました。東日本大震災・原子力被害伝承館の見学では、震災による被害の写真や体育館の天井から落ちた照明、折れ曲がったポールなど当時を物語るものがたくさんありました。複合災害で起きた“福島原子力発電所”で発生した原発事故の説明や、実際に経験した現地の方々の話を聞き、これは今後起こってはいけないことだと感じました。また、同じことにならないよう行動していかないといけないと強く思いました。
3日目の要請行動ではいわき市役所・合同庁舎に要請書を提出しました。私は、茨城県での要請行動に行きましたが、当時は原発に対する考えも甘く、自分の意見を相手に対して発言することすら、恥ずかしくてできませんでした。ですが今回の3.13アクションやフィールドワークを経験し、恥ずかしいなどと思ってはいられないと感じました。要請文を渡した後に自分の考え、訴えたいことを伝え、また次の世代へも伝えていかなければならないと感じました。
私は、この3日間でキャラバン隊、キャラバンに携わった関係者、現地の方々の様々な人の考えや意見を聞き、今まで原発のことを如何に考えていなかったかを実感しとても恥ずかしく思いました。今後は原発に対する考えを改め、全国の原発が廃炉になるようにキャラバンを積極的に参加していきたいと思います。
小名浜支部青年部 渡邊 健也
今回、初めてフクシマ連帯キャラバンに参加しました。キャラバンが始まる前、自分は「なぜ原発反対なのだろう?」「やる目的は何だろう?」と疑問が先にあり、この3日間で自分なりに理由を見つけることを目的とし行動しようと決めました。
まず初めに「2022年原発のない福島を!県民大集会」に参加しました。この県民集会では実際に原発事故の被害にあった住民、漁師、また高校生平和大使から話を聞くことができました。住民からは「帰りたくても帰れない」「元々、住んでいた地域から離れる」など原発事故が起きて日常生活が変わってしまった話を聞きました。福島に住んでいる自分ですが住む場所が変わったわけでもなく、友達と離れ離れになったわけでもない自分からするとその苦労は計り知れないしすごいストレスだと思いました。漁師からは汚染水海洋放出することで漁業ブランドの低下、これによって失業するかもしれないという話を聞きました。潮の流れ次第では隣の県、また世界中汚染水がばらまかれる心配があり、この問題は福島だけの問題ではないと強い訴えも聞き勉強になりました。高校生平和大使からは原発事故に関してのアンケート結果を聞きました。原発事故から11年、年々原発事故への知識、意識が低下していることを聞き自分自身に置き換えても風化していたことに気づかされました。
フィールドワークでは原発周辺を視察してきました。現在、避難困難区域に指定されている建物はガラスが割れたままだったり障子が破れたままだったりと改めて東日本大震災の被害の大きさを感じショックを受けました。徐々に避難区域が解除され街並みが整備されている所も見受けられ復興し始まっていると感じられる所あるが、まだまだ終わっていないと思いました。いざ避難区域が解除されたとはいえライフラインがしっかりしているとは言えない状況であり元々住んでいた住民が「戻ってこよう」とは思えない原発周辺。本当の復興とは何なのか考えさせられました。やはり元々住んでいた住民が全員戻ってきて安心して暮らせて、ライフラインが整備された状況でないと復興とは言えないのではと思いました。
最終日には要請行動として、地元の三政党、四団体と共に「汚染水の海洋投棄反対」を福島県知事、いわき市長に訴えてきました。「県としては表明しているけれど議会では話していない。反対行動として何をやっているのか?」「これまでに情報の隠ぺいがあり、事故が起きてから発覚することが多いので市民は不安であり信用していない」「汚染水を処理水と呼ぶのは間違っている」などとキャラバン隊齋藤団長と共に強く訴えてきました。国が決めている安全基準が本当に信用していいのか疑問であり「少しくらい汚染されていても大丈夫」ではなく、これからの未来のためにも絶対に許してはいけない問題だと思いました。
今回のキャラバンで学んだことは11年経った現在、原発事故が風化し始めていることがわかりました。原発事故がもたらした被害。そのことによって生まれた「被災者」「風評被害」「汚染水問題」様々な問題を生んだ原発事故。11年経った現在、少しずつだが復興と共に風化し始めているのは自分自身も同じでした。このキャラバンで学んだことが無駄にならないように原発がもたらせた大変な被害を知らない若い世代に分かりやすく、興味をもってもらえるような行動をしていきたいです。
コロナ禍でありながらも集まってくれた八戸支部、ひたち支部の仲間達、親の協力、見えない部分でのサポートをしてくれた全ての人に感謝したいです。改めて「横の繋がり」を強く感じることができたキャラバンでした。他支部で困っている所があれば助け合い、先輩達が築いてくれた「横の繋がり」をこれからも良き伝統として繋いでいきたいです。