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フクシマ連帯キャラバン開催
「私達は微力だけれど、無力ではない」
3月16日、福島県福島市のパルセいいざかで開催された県民大集会、その後の汚染水学習会、結団式を皮切りに今年もフクシマ連帯キャラバンがスタートしました。福島第一原発で起きた過酷事故。
今年のキャラバンでも訪れた富岡町や大熊町、浪江町津島地区は2019年当時、地域の多くが帰還困難区域としてバリケードが張り巡らされ、又、区域内への通行ゲートには監視員が常駐しているという、私達の日常では見ることのない光景がそこには広がっていました。富岡町の夜ノ森地区で下車した際、境界線付近の地面にガイガカウンターを近付けると、自然界では本来測り得ない数値を計測し、そこから10mと離れない帰還困難区域ではない区画で子育てをしていた私と同世代のご家族を見かけました。到底言葉に出来ない感情と共に「見えない、臭いもない」放射性物質に恐怖を覚えた事はこの夜ノ森に来ると今でも鮮明に思い出します。
双葉町の駅前と新しい町役場は昨年訪れた際には以前と違い、復興の第一歩を連想させる佇まいでした。でも、駅前の一本海寄りの路地に入ると主を失った家屋が10年以上の歳月で朽ち果て、廃墟として軒を連ねていましたが、この1年で取り壊しが進んだのか更地が多く見られました。そして、未だにすれ違う歩行者も子供達の笑い声もありませんでした。
道中、至る所に仮置きされていた汚染土の入ったフレコンバッグも中間貯蔵施設に集め始められ、視覚に訴えてくる凄惨な景色もこれからも復興の名の下、減って行くのだと思います。私はこの3度の経験と5年の歳月と「風化」と言う言葉を生まれて初めて強く感じました。
同じ東日本大震災と言う天災の被害を受けた地域は10年以上の歳月を経て「復興」へと歩を進めています。ですが、人災も加わった福島の被災地では人は還ってこれず本来のコミュニティも文化の継承もその家にあった思い出も、全てが2011年3月11日で止まっている現実があります。これは双葉町にある原子力災害伝承館に飾られている航空写真を見て貰えば一目瞭然です。
最終日、代々木公園の脱原発集会にて我らがキャラバン隊の渡邉団長が集会参加者の前で発信された俺達「最高で最強のキャラバン隊」と、「最高で最強の皆さん」とで人と核との共存は出来ない事を発信していく!!そして、周りを巻き込んで行くしか次の世代に綺麗な日本は残せないと私は思いました。
横浜支部 青年副部長 鶴岡 勇輔
原発のない福島を!県民大集会
フクシマ連帯キャラバン
さよなら原発3.20全国集会
今回、3月16日~20日にかけて「2024 フクシマ連帯キャラバン」に初めて参加させて頂きました。東北地震があった当時、私は18歳でした。東北で原発事故があり、たくさんの方が避難され大規模な被害があったことに対して全く興味を持っていなかったのが事実です。会社に入社し組合員になり青年部の役を持たせていただいたのをきっかけに興味を持つようになり、今回フクシマ連帯キャラバンに参加させて頂けたことを感謝しています。ありがとうございました。
初日は、福島県飯坂町で行われた県民大集会に参加してきました。「若者からの訴え」ということで高校生平和大使の方がたくさんの人前で原発反対に対する意見を述べており自分ももっと頑張らないといけないとすごく力を貰いました。県民集会の後は、結団式、学習会を行いALPS処理水の海洋放出について学ぶことが出来ました。実際、海洋放出が行われることで漁連関連の方だけでなく私達の生活にも大きな影響を及ぼし、最悪のケースでは、海でとれた魚を口にすることで内部被ばくする恐れもありALPS処理水の海洋放出は、断固反対すべきことだと改めて感じました。
二日目は、キャラバンの歴史について学習会を行い、その後、フィールドワークで浪江町請戸小学校、浪江町大平山霊園、原子力伝承館を見学しにいきました。道中、現在もフェンスで区切られている場所だったり避難した人の家だけが残っていたり放射能を数値化して見ることができる「モニタリングポスト」が設置されていたりと、未だ復興が進んでいない場所を自分の目で見ることが出来ました。メディアでは取り上げられていない場所がたくさんあることを知り、ものすごく衝撃を受けました。
三日目は、引き続き福島でのフィールドワークを行ったり、地元の原告団の方との意見交換を行ったりしました。フィールドワークを行った津島地区は、実際放射能から避難された地区で人影も少なく、誰も住んでいない家やボロボロの診療所などが未だに残っており当時の悲惨さを感じることが出来ました。
四日目は、茨城県に移動し東海第二原発の30キロ圏内にある15自治体へ避難計画及び老朽原発20年延長問題などを記した要請書を首長へ提出する要請行動を行いました。
いくら原発が住民の生活を守っているとはいえ、いくら安全な避難計画が策定されているとはいえ、原発事故が起こってしまえば速やかに避難出来るわけではないし、安心して生活を送れなくなります。地震や津波などは、対策は厳しいかもしれないが、原発事故は、原発を無くすという対策を取れるので、やはり原発は無くすべきだと改めて強く思った要請行動でした。
最終日は、東京の代々木公園で行われた「さようなら原発」全国集会に参加しました。
全国の方が代々木に集結し、原発反対を叫びました。キャラバン隊が登壇した際、私のじいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん世代の方から「若い力でがんばれー」だったり「いいぞー」といった暖かい声をたくさんかけて頂き、ものすごく感動し、鳥肌が立ちました。しかし、周りを見渡しても若い人たちは、ほとんどおらず、すごく寂しい気持ちにもなりました。
全日程通して、実際に被災した地域を見たり、避難された方の話を聞いたりして、
すごく為になる経験をさせて頂きました。しかし、キャラバンに参加して満足するのではなく、キャラバンで学んだ事を生かし原発事故を風化させないために地元のみんなに伝えていきます。
全港湾日本海地方敦賀支部 百田 聖治